たくさんの“可能性”と出会い“未来”を切り開ける会社
西牟田 憲宗
人材プラットフォーム事業部 / 2025年4月入社
人生の転機が導いた人材紹介の仕事

求職者様を転職先に最大限PRする役割
現在「人材プラットフォーム事業部」で、看護師さんや介護士さんなど医療・介護業界で働く方達の転職サポートを行っています。
電話やWeb面談で希望条件を伺い、ご希望に合った職場を紹介するのが主な業務内容です。
履歴書や職務経歴書の添削サポート、福岡近郊であれば、面接や施設見学も同行しています。
業務で特に意識していることは2つあります。
1つ目は、相手に合わせたコミュニケーションを取ることです。
20代から70代まで幅広い年代の方がいらっしゃるので、声のトーンや話すスピード、テンションも相手に合わせて調整し、信頼関係を築くようにしています。
他の紹介会社様を使っている求職者様も多いですので、差別化されるためにも、
「覚えやすい人」
「名前は忘れたけど“あの人”だよね」
と、インパクトを残せるように意識しています。
2つ目は、単に希望条件を聞くだけではなく、背景まで含めて深く理解することです。
正直なところ「どんな条件でお仕事をお探しですか?」とお聞きするのは、誰にでもできます。
私は本当に大事なのは、表面的な情報ではなく、
「なぜその条件を求めるのか?」
「希望条件の中で絶対に譲れない“軸”はどれか?」
「背景にはどんな想いがあるのか?」
といった、目には見えない部分まで深く知ることだと考えています。
実は以前、上司に、
「求職者を自分の彼女だと思え。彼女なら好きなものや嫌いなもの、何に喜び何に怒るか知りたいだろう?」
と言われたことがあります(笑)。
この言葉は今も心に残っていますし、相手のことを深く知ろうとする姿勢や聞き出せるスキルとして、私自身の強みになっていると思います。
人との出会いや価値の提供ができた瞬間がやりがいに
仕事のやりがいを感じるのは、求職者様の転職が成功し新しい職場で生き生きと働いている姿を見聞きしたときです。
以前、施設へ連絡をしたとき、私が紹介した方が、偶然お電話に出られ、
「西牟田さんですよね?私まだ、働いていますよ」
と仰っていただいた時は、本当に嬉しかったです。
ほかにも、
「70代で運転業務なしで自転車で通える範囲を希望」
「転職回数が10回以上。一度不採用の施設を希望」
など、一般的には難しいと思われる条件での採用が決まったときも、大きなやりがいを感じます。
何より「人と人との出会いや価値の提供ができた」と、実感できる瞬間でもあります。
もちろん、100%ご希望通りの求人が常に見つかるとは限りません。
一生懸命サポートさせていただいても、ほかの紹介会社様で決まったり、突然連絡が途絶えてしまうこともあります。
それでも、
「西牟田さんのおかげです。ありがとうございます」
と感謝の言葉をいただけると嬉しいですし、仕事のモチベーションにもつながっています。

新たな可能性と出会い、挑戦できる会社
LDTは、日々新しい取り組みが次々と生まれている会社です。
たとえば、登録媒体を大幅に拡充したり、労働環境を良くしようとする取り組みにも非常に積極的ですし、発案から実際に行動に移すまでのスピードもとても早いです。
一人ひとりの可能性を信じ、挑戦を支えてくれる。そんな環境がLDTにはあると感じています。
また、職場環境も静かで、それぞれの業務に集中しやすい環境が整っています。
シーンと静まり返っているわけではなく、必要な時にはすぐに周囲に声をかけて相談できる雰囲気です。
たとえば、
「この条件でご紹介できる求人はあるかな?」
「こういうケースはどう対応するのが良い?」
など、情報共有し困ったときにはお互い助け合える関係を築けています。
「人」に関心を持ち、共に高め合える仲間と出会いたい
これからLDTに入社する方には、
「人に関心があり、切磋琢磨しながら成長していける方」
にぜひ来ていただきたいです。
私たちが日々向き合っているのは「人」です。
求職者様との電話や面談も多いですし、その方の人生に関わる仕事である以上、人と丁寧に向き合う姿勢は必要不可欠になります。
同時に、周囲と刺激し合い、助け合える関係性を築けることも大切だと考えています。
ライバルのように互いを高め合う存在がいることで、仕事に対するモチベーションも保たれますし、結果的に成長スピードも早くなるからです。
また、営業職である以上、根気強さや負けず嫌いな気持ちを持つことも大事です。
分からないことは何度でも質問できるような積極性のある方は、きっとLDTでも活躍できると思います。

以前は、テレビ番組のADや不動産営業の仕事に携わってきました。
テレビ業界を志したのは、高校生の頃です。父が亡くなり引きこもりがちだったのですが、久しぶりにバラエティ番組を見て、
安堵感と色々な感情が混ざって自然と涙がこぼれたんです。
そのとき「やっぱりテレビっていいな」と感じたのがきっかけでした。
憧れだったテレビ業界でADとして働きましたが、想像以上に過酷な現場でした。
やりがいはありましたが、結婚し子どもが生まれたタイミングで、
「この働き方をずっと続けるのは難しい」
と考え、やりたい仕事ではありましたが業界を離れることを決意。
その後、不動産営業の仕事に転職しましたが、闘病中の母が亡くなり、またしても人生の転機が訪れました。
以前から「慣れ親しんだ地元で子育てをしたい」と思い描いていたため、福岡へのUターンを決意。
福岡に戻り、現在の人材紹介の仕事に巡り合いました。私自身がいくつも人生の大きな転機を経験してきたからこそ、
「人の人生の決断を支える」
人材紹介の仕事に強く惹かれたのかもしれません。